2013年05月10日

シーボルト


ドイツの医学者で博物学者であった
シーボルトは「江戸参府紀行」で
当時の播磨を描いている。

文政9年(1826年)に
シーボルトは下関から、船に乗って
瀬戸内海の室津に入港する。

室津から山陽道で姫路に向かう
途中、シーボルトは、植物や化石の
骨を採集したという。
シーボルトを喜ばせたのは、
地誌「播磨名所」という見取り図であっ
たと言います。

一行は、姫路で一泊し、
豆崎(高砂阿弥陀町)から浜街道で
曽根町に入り、天満宮の曽根の松を
見た後、石の宝殿に行ったそうです。
石の宝殿では、力士が酒宴を開いた
そうです。

その後
高砂神社の相生の松を見学し
加古川で泊ったそうです。

シーボルトは
播磨の農民は秩序があり
礼儀正しかったと言っており
その当時の日本人の生活や
風俗にも関心を持っていたようです。

日本の地図や、武者絵を持ち出そう
として、スパイの容疑で国外追放に
なったが、
日本を愛していた、外国人のひとりと
言えますね。

川柳に

今飛脚 江戸をたったと知らせあり
         (かよちゃんさん)

ではまた。  


Posted by しんちゃん at 14:03Comments(2)地域