2013年04月03日

新聞の父


天保8年(1837年)に播磨町で
生まれたジョセフ・ヒコは「新聞の父」
と呼ばれています。

本名は浜田彦蔵といいます。
13歳の時に
船で漂流し、アメリカの船に助けられ
アメリカに1年余り滞在しました。

その後
帰国したがうまくいかず
アメリカに行き、5年9カ月暮した。
日本人で初めて市民権を獲得し
ジョセフ・ヒコと改名しました。
アメリカ大統領と会見した最初の
日本人とも言われています。

何回も渡航を繰り返し
1864年に日本で新聞事業を展開
しました。
わずか2年で廃刊になりましたが
外国新聞の海外ニュースを翻訳した
「海外新聞」は日本で最初の新聞と
言われ、ヒコが「新聞の父」といわれる
ゆえんとなった。

資料を読むと
ヒコは、いろいろ新事業に手を出して
いるが、ことごとく失敗しているようで
ある。
しかし
何回失敗しても負けずに何事にも
挑戦している姿勢は見事ですね。

62歳で波乱万丈の生涯を閉じます。

姫路出身の前田林外の詩に

ああアメリカ彦蔵

ああ天の選民彦蔵

われ君が塚をたずね

終に君が塚に逢わず

野は無名の卒塔婆朽ちて

ただ草の乱れ咲くを見る

ではまた。  


Posted by しんちゃん at 13:31Comments(0)地域