2013年04月05日

日本民俗学の父


10数年に柳田国男の生家に
行ったことがあります。
福崎町辻川に保存され
「日本一小さい家」と言われて
います。

柳田国男は
明治8年(1875年)に
福崎町に生まれ
日本民俗学の創始者とも
言われています。

東大に入学して
文壇にあっては、詩人として
名声を得たそうです。

大学を卒業してからは
農商務省に就職し
農政学者の道を歩みます。

その後
日本の山奥まで旅を続け
各地の伝説や伝承を集め
「遠野物語」などの名著を
世の中に出しました。

昭和24年に
日本民俗学会の初代会長と
なり、全国離島村落の調査
研究にのり出し多くの成果を
あげます。

昭和37年に
知の巨人とも言われた
柳田国男は
88歳で亡くなられました。

明治25年の和歌

むら山の青きが上にあらはれて

いよいよ清し富士の白雪

ではまた。  


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2013年04月03日

新聞の父


天保8年(1837年)に播磨町で
生まれたジョセフ・ヒコは「新聞の父」
と呼ばれています。

本名は浜田彦蔵といいます。
13歳の時に
船で漂流し、アメリカの船に助けられ
アメリカに1年余り滞在しました。

その後
帰国したがうまくいかず
アメリカに行き、5年9カ月暮した。
日本人で初めて市民権を獲得し
ジョセフ・ヒコと改名しました。
アメリカ大統領と会見した最初の
日本人とも言われています。

何回も渡航を繰り返し
1864年に日本で新聞事業を展開
しました。
わずか2年で廃刊になりましたが
外国新聞の海外ニュースを翻訳した
「海外新聞」は日本で最初の新聞と
言われ、ヒコが「新聞の父」といわれる
ゆえんとなった。

資料を読むと
ヒコは、いろいろ新事業に手を出して
いるが、ことごとく失敗しているようで
ある。
しかし
何回失敗しても負けずに何事にも
挑戦している姿勢は見事ですね。

62歳で波乱万丈の生涯を閉じます。

姫路出身の前田林外の詩に

ああアメリカ彦蔵

ああ天の選民彦蔵

われ君が塚をたずね

終に君が塚に逢わず

野は無名の卒塔婆朽ちて

ただ草の乱れ咲くを見る

ではまた。  


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2013年03月31日

有本芳水


播磨ゆかりの詩人有本芳水は
1886年(明治19年)に
姫路市飾磨に生まれました。

港のほとりで育った影響か
「海の郷愁」をうたった詩人とも
言われています。

早稲田大学を卒業し
「実業之日本社」に入社し
雑誌「日本少年」の主筆を
30年間つとめ、少年詩が
当時の少年たちに熱狂的に
むかえられたそうです。

大正3年に「芳水詩集」が
出版され、305版を重ね
ました。
これほど、少年読者に愛され
た詩人は少ないとも言われて
います。

現在、姫路市では
有本芳水の名を冠した
「子どもの詩」のコンクールと
賞を制定し、毎年姫路市内の
小学生を選出しています。

飾磨の恵美酒神社の詩碑に

播磨はわれの父の国

播磨はわれの母の国

飾磨の海にともる灯の

その色見れば泪ながるる

ではまた。  


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2013年03月27日

華麗


高砂と加古川の境に
高御座(たかみくら)という山があります。
播磨富士とも呼ばれ
神話や民話にも登場する
伝説の山です。

大正10年(1920年)に
高御座の頂上からグライダーで
飛んだ青年がいます。
志方出身の播州鉄道の設計士の
渡辺信二さん(当時21歳)です。

5人の友人とグライダーの機材を
持ち上げ、頂上で組み立てたと
思われます。
約300メートルを30秒飛んだと
記録にあります。

僕は高御座を何回かラグビーの
練習を兼ね登ったことがありますが
結構、急な坂で機材を持ち上げるの
は大変だったと思います。
それに、あんな高い所から飛び降りる
なんて、山の神様もあきれていたかも
しれません。

その後
信二さんは日本航空輸送研究所に
入り、民間人で初めてという
三等水上飛行士の免許を取ったと
言います。

JR加古川の開通や
高砂海水浴場開きなどの
祝賀飛行も引き受けました。

26歳の時、大阪から高松への
郵便飛行中に神戸の山林で
墜落死しました。

関西いや日本で初めて
自製グライダーで飛んだ人物とも
言われています。

映画「華麗なるヒコーキ野郎」の
日本人版ですね。

ではまた。



  


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2013年03月16日

山片蟠桃

先日、司馬遼太郎の本を読んで
いたら、山片蟠桃のことが書いて
ありました。

蟠桃は、1748年に高砂市米田町
神爪(かずめ)に生まれ、
13歳で大阪の両替商に奉公に
出て、25歳の時に番頭になり
仙台藩などの財政難を立て直した
と言われています。

50歳から「夢の代」を書き始め
科学的合理主義を貫き
神話や新道、仏教などを批判し
地動説なども唱えました。

現在
司馬遼太郎が提唱した
山片蟠桃賞という国際賞が
あります。

全国的には、知名度は低い
ですが、
高砂と大阪では有名です。

辞世の句

地獄なし 極楽もなし 我もなし
ただ有るものは 人と万物

神仏 化物もなし 世の中に
奇妙ふしぎの ことは猶なし

蟠桃は、神仏に頼らない
現実主義者でした。

現代の
パワースポットや占いに
頼る人々を見たら
山片蟠桃は
きっと眉をひそめるでしょう。

川柳に

「占いに頼るとこから負けている」
          (宮本佳則さん)

ではまた。

  


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2013年03月10日

武蔵


宮本武蔵の出生地は
吉川英治の本によって
全国の大半の人は
岡山県美作町と思っています。

資料は少ないが
実説では、高砂市米田町の
赤松一族・田原家で生まれ。
美作町の新免家へ養子に
いったとされる。

僕が吉川英治の本を読んだのは
高校の夏休みでした。
内容は、ほとんど忘れましたが
読後の達成感だけは憶えています。

武蔵は晩年
明石城下の町割りや
場内の庭園や屋敷の設計に
関わったそうです。

剣術家で書家で設計士など
超マルチ人間ですね。

川柳に

「武蔵より又八にみる人間味」
        (寺田稔さん)

ではまた。  


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2013年03月09日

司馬史観

司馬遼太郎は
播磨ゆかりの作家と言われています。

というのは
祖父が、姫路の広という村に生まれたと
いう理由があるみたいです。
祖父は算学が得意でした。
江戸末期の広という村のあたりは珠算や
和算が庶民に浸透していた地域だったと
言います。

僕は、二十歳くらいから司馬遼太郎を
読み始めました。
高校までの教科書の日本史と違い
その時代の空気や人物の体温が
感じられました。

浜村淳のラジオではないが
「その現場にいたんか!」と
突っ込みをいれながらも読んで
いました。

いろいろ著名人の批判の記事も
多いですが
司馬史観と言われる著作は
昭和の戦後の暗い世相を
肯定的に明るくしてくれたひとり
でもありました。

時代小説はフィクションですが
ひとつの作品を書くのに
司馬遼太郎は、多くの金を使い
古書店街から、トラック一台分の
関連書籍を購入したという
エピソードもあります。

そろそろ
司馬遼太郎の好きな
菜の花が瀬戸内に咲きます。

今でも、多くのすばらしい作品を
私たちは、楽しんでいます。
ありがとうございました。

川柳に

「年号をおぼえただけの歴史学」
          (大西雅風さん)

ではまた。

  


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2013年03月08日

奇跡の村

新聞に
高室歌舞伎のことが

数年前に、沖浦直光や網野善彦の
遊芸民やサンカ関係の本に興味を
持ったことがあります。

加西には、総称で竜山石と呼ばれている
高室石と長石の生産地ですが、東高室村に
は高室歌舞伎とも呼ばれるものが、
江戸時代に生まれました。

今の「漫才」の起源となる
「万歳」も神様の前で正月などに
演じていたようです。

村人の大半が、役者や漫才師で
全国に、座を催していたみたいです。

今で言えば、吉本興業の芸人の
全員が村人みたいなもので
奇人の村、いや奇跡の村とも
言えます。

タイムマシンで
行ってみたい村ですね。

川柳に

「旅役者行く先々の街を褒め」
(高橋鈍牛さん)

ではまた。
  


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2013年03月06日

天竺徳兵衛


昨日の新聞に
高砂ゆかりの船乗り
天竺徳兵衛の肖像画補修
市、生誕400年を機にと。

15歳の時、豪商・角倉素庵の船でシャム
(タイ)に航海し、オランダ人ヤン・ヨーステン
の船で天竺(インド)などに再航海したと言わ
れています。

帰国後、見聞録「天竺渡海物語」を作成し
長崎奉行に提出しました。

没後、徳兵衛は朝鮮出身の妖術使いと
して、歌舞伎の世界に天竺物として登場
し、小説にも書かれるようになったそうで
す。

鎖国後の日本人にとっては
海外に何度も行くような人間は
今で言えば火星でも行ったような
珍しく、ミステリアスな人間に思えた
のではないかと推察されます。

高砂市は
3月17日に開催される
第10回高砂文化講座「高砂学」
~天竺徳兵衛生誕400年記念~
の受講生を2月4日より募集してい
ます。

楽しみですね。

ではまた。



  


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2013年03月02日

貝原益軒


数年前、JR御着駅で貝原益軒の
看板を見たことがあります。
何でやろうと思っていました。

調べると
貝原益軒は、黒田藩に仕えていて
学者として「黒田家譜」も編纂して
います。
官兵衛つながりだったんですね。

益軒の「養生訓」は
接して漏らさずという言葉が有名
ですが。
たまに開いてみると
人生や健康法のいいヒントが書い
てあります。

森下政之訳の
「養生訓 現代文」の
冒頭の言葉
「人間とは
今、自分が生きていることは、
まわりの人のおかげである。
両親が自分を生み育ててこられ
たことを感謝し、その他に自然の
恵みにも感謝しなければならない。
自分が健康で長寿を全うすること
こそが、その人たちや自然にたい
しての最大の感謝の表現である。」

私も含め、今の日本人が忘れて
いることですね。

ではまた。

  


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2013年02月16日

大塩駅

開業は、大正12年です。
大塩天満宮の秋祭りの獅子舞は
無形文化財にも指定されています。

大塩には平安時代から塩田があった
と言われ、日本最古の製塩の歴史が
あるそうです。

50年前は、曽根駅から大塩に向かう
電車から見る、塩田の枝条架は、
ひとつの風物詩でした。

ノジギクの群生地を牧野富太郎博士が
発見したのは大正時代でした。日本の
野性菊では、もっとも美しいと言われい
ます。

一句

「途中下車しようか迷う野菊かな」

ではまた。
  


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2013年02月15日

種田山頭火


僕の散歩コースに、播州山頭火句碑の里
があります。
高砂市消防署のちょっと西です。

山頭火は、俳句を8万句あまり詠んだと言われ
ています。
自由律俳句といわれ、五・七・五ではないです。

酒癖によって身を持ち崩した、波乱万丈の人生
ですが、今でも多くのファンがいます。

・あの雲がおとした雨にぬれている

・いつも一人で赤とんぼ

・うしろすがたしぐれてゆくか

・ころり寝ころべば青空

・さてどちらへ行かう風がふく

・山あれば山を観る

・分け入っても分け入っても青い山

ではまた。



  


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2013年02月14日

荒井駅

大正12年開業です。
東洋一と言われた、陸軍大阪砲兵廠
播磨製造所が終戦まであったそう
です。

10月は荒井神社の秋祭りです。
江戸時代から伝わる「にわか太鼓」
は、曽我兄弟や義経の寸劇が
呼び物です。


先日の脱線事故は、ショックでした。
僕も、よく利用していた駅や踏切で
したので。


明日は、我が身です。
他人事と思わず、踏切や交差点では、
注意して渡りましょう。

それと、人災、天災など 各個人で
想定し、備えることが大事である
と思いました。

ではまた。  


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2013年02月12日

高砂駅

大正12年開業です。
昭和59年まで、国鉄の高砂北口が
ありました。
小学生の頃、国鉄で鶴林寺に遠足に
行った思い出があります。

名勝の高砂神社にある「相生の松」は
和合長寿の象徴として大切にされてい
ます。

昭和35年に姿を消した高砂海水浴場で
潮干狩りをした思い出がおぼろげにあり
ます。

高砂町には、映画館が3館あり、お弁当を
食べけながら観た思い出があります。

駅前は、企業に乗り降りする人で
賑わっていましたが、自動車の普及などで、
今は淋しいものです。

一首

「道標の左高砂右姫路
やや傾いて雨に濡れけり」

ではまた。  


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2013年02月09日

的形駅

僕の整体院のある的形駅です。
開業は、大正12年です。

駅の北西には、湊神社があり、天保年間の
創建と言われるほど歴史が古いです。

南の港や海岸は、行基が開いたと言われる
摂播五泊のひとつ、韓泊は八家からこの
一帯と言わているそうです。

今は亡き父に、自転車の後ろに乗せてもらい
的形の海水浴に行ったのは
懐かしい思い出です。

一首

「砂浜に城を築いて遠浅の
父を見ている的形の海」

ではまた。



  


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2013年02月06日

山陽曽根駅

大正12年に開業です。
最初は、曽根町駅と呼ばれていたそうです。
JRにも曽根駅があるので、山陽をつけたの
かな。

北口には、人形の「名島屋」があります。
北に200メートル歩くと
学問の神様、菅原道真公を祭っている
曽根天満宮があります。

曽根天満宮には、菅公が植えたという
「曽根の松」があります。
竜山石の石垣や石橋も美しいです。
この辺りも、僕の散歩コースです。

こんな和歌が

「誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに」
(古今集)

ではまた。
  


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2012年02月16日

家紋石

高砂市の石の宝殿の近くをよく歩いていますが
生石神社の階段を降りたところに
直径90センチぐらいの丸い皿みたいな物が2つ立っています。
前から何だろうと思っていましたが
ある本に、それは家紋石で
姫路藩の専売品である竜山石の
「専売品となった象徴として作られた」
という説が有望であると。

石の宝殿は江戸時代には、播磨の名勝として
全国的に有名だったそうです。
今も、石の宝殿には謎が多く残っています。

一句

「宝殿の切り立つ石に冬深し」

ぶらりと寄ってくださいね。

ではまた。  


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2008年12月15日

神吉町

会社に行く途中に神吉町があります。
神吉の名前の由来を調べると
播磨風土記に「含芸(かむき)」とあります。
仁徳天皇の時代
家を建てる用地を探す旅をしていたところ
酒の瓶をつけた馬が、このあたりで瓶を落としたので
「瓶落(かめおち)」と名付けそれが「含芸」となったといいます。
地名には、けっこうダジャレ的なものが多いですね。

このあたりに、平荘湖があり
今の時期、いろいろな渡り鳥の鴨が入っています。
俳句では、鴨は冬の季語です。

「着水の鴨もしぶきも前のめり」
                (手塚美佐)

僕も一句

「ヒマなのかトビをからかう寒鴉(かんがらす)」

近くの池に鴨を見にいきましょう!


  


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2008年01月25日

「雪」

昨日は、配送で千種の方に行きました。
新宮あたりで、雪は大丈夫と思っていると
千種に入ると、急に雪が降ってきました。

道路は凍結寸前でしたが、なんとか目的地に到着できました。
スノータイヤを履いているが、昔にすべった経験があるので
慎重に運転しました。

千種は、「播磨風土記」によると
古くは神々の腰を下ろす場を意味する「敷草村」が名前の由来で
たたら製鉄でも有名ですね。

話はかわりますが
次男のセンター試験が終わり
次は、本番です。
がんばってね!

「お守りのお菓子はそろった受験生」  


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2007年12月11日

先週は、仕事の配送で、新宮、三日月、千種などに行ってきました。

千種では、もう雪まじりの雨が降っていました。
山頂も、雪をかぶっていました。
風の冷たさは、瀬戸内海沿岸と、えらい違いです。

三日月のほうは、まだ暖かいのか
まだ、ひまわりと菜の花が残っていました。

三日月の町名の由来は
「風土記」には、非常識な遊興人を懲罰する時
その人たちを水漬けにしたからだそうです。
けっこう、町名はダジャレ的なものが多いですね。

以前、サンデー毎日に、こんな俳句が載ったことがあります。
課題の季語は、「冬支度」でした。

「女房の体温感じて冬支度」

身体は、冷やさず、風邪に気をつけましょう!
 


  


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